エピローグ:ある日

GM [2012/09/12 17:10]

「あ   る、 ・・・日  っと」

ヒューゲル・ボンノはその日、自宅にて、薄い木の板に向かっていた。
安い木材は、画材に金をかけられない層にはうってつけだった。

美術は、金をかければそれらしく見えるものだと彼は思っていた。
木よりも紙、鉄より銀、銀より金、金より精霊銀。
植物を砕いたものより鉱物。
筆は豚より馬。

―――金がなければ知恵と時間をかける。

時間がなければ、情熱をかける。
筆の一振りに入魂する。
線は素直に現れてくれる。

「・・・・・・ そ こ、 に は、・・・」

使い古して毛の少ない筆で、木の板に一線一線づつ力を込める。

薄い木の板に、黒いインクの線が入っていく。

ヒューゲル・ボンノは、童話作家だった。
売れない、世に出回らない名前だった。

彼の仕事は、アングレカムの館に月2回、紙芝居を行うこと。
それが、食うに食えない彼の本職だ。

食えない、だから毎朝彼は港の市場に行き、船から降ろされた商品の選別をひっそり行う。
一級品、B品、生鮮を痛めないよう限られた時間のなかで素早く仕事する。
2時間も使わない。
その日の賃金をもらい、時にはB品としても売れないような生鮮品を受け取り、その足で市場に寄って帰宅する。
帰宅後に、彼のライフワークが始まる。


今度のアングレカム孤児院に持っていく題材は、古い有名な傑作だった。
ふきの葉の船に乗った猫と草原妖精たちが、川を下って宝島に着くという話だ。
途中、草原妖精の飼っていた猫が本当はツインテールキャットという魔物で、そのこは主人公たちのピンチを助けてくれるが最後は別々になってしまうという、悲しくはあるが暗くはない未来を示してくれるお話だった。

「・・・・・・どうだろう。南の島に見えるだろうか?」

木版から一歩二歩離れ、木の板に浮かび上がる墨の線を眺める。
そして、苦笑した。

「ほんのばかり失敗してしまった、ピーナッツみたいだ。
 ジャンが見たら、なんて評するだろうか」

そして、先日を思い出す。

―――僕には才能がない。
僕は、絞りだす想像力がない。
いつも人の真似事をなぞる、そう、ただの、受信する側なんだ―――

「いいのさ、それで」

いいのさ、それで。

ヒューゲル・ボンノは窓の外を観る。
すっかり夕だ。

「生きろ、生きろ」

孤児院の子供たちを思う。

「待ってろよ、面白い話を届けに行くから」

ああ、ジャンが着いてきてくれないかなあ。


この紙芝居には、音がないんだ―――――
だから、世界を伝えきれないじゃないか。