か学

GM [2012/07/16 12:37]
ジャン・マルクルは、音楽を数学だという。

「面白いね」

僕は数学を、幻想だと思う。

"ここにリンゴが1つあります。もう一つ足すと、2になります"

現実的だと思うだろ?

それがどうだい。

"ここにリンゴが1つあります。これを三等分にしたら、3.33333333333333333333333333333333...になります"

「ギャハハ」

夏の暑さで、樽とアルコールの香りをプンプン飛ばすブランデーを飲んで、
僕はニヒルになった。

「そうだ、この前さ」

さっきジャン・マルクルが話した『音楽で世界は変えられるかって言う奴』の話について、
僕からも話したいことがあった。

「この前、噴水広場の絵描きが言ってたんだ。
 "私はりんご一つでオランをあっと言わせてみせる"って。
 りんごの絵だよ。それだけで、このオランの人々の物の見方を変えたいとか、なんとか。

 そこに並んでいた絵を観たんだ。
 りんごの他に、人物画や風景画もあった。

 僕は、あんまり『あっ!』って言えなかった。
 率直に言って、大して面白くなかった」

でもその絵描きの出す青の色はとても綺麗だと思った。

「それで別の日、噴水広場にはまた違う芸術家がいたんだ。
 彫刻を並べていた。
 その芸術家はただ黙々と、見世物にさえならない様子で黙々と、木を彫っていた。

 僕は足を止めて、並べられた彫刻を観たんだ。

 ・・・すごかった。
 この人は・・・ゴホン、言い方は悪いけど―――バカなんじゃないかと思った。

 レンガ1つ分の大きさのツゲの木を掘って、鹿狩の様子を映しているんだ。
 鹿の毛並み、狩人の乗る馬の蹄、手にする槍・・・全てを忠実に浮き彫らせていた。

 本当に浮き彫りなんだ。
 槍なんて、爪で弾いたら折れちゃうくらい細かったんだよ。
 それが、このサイズ・・・レンガくらいの1個の木から彫ってるんだ。

 その二人の芸術家を見てぼくが思ったことは、
 人を変えよう、人に影響させようとして行うことって、結果的に大したものにならないんだ。
 本当に人を変えてしまう、人へ影響があるのは、
 脇目も振らず内へ、ただ一点だけを目指して内へ内へ収束する集中力の賜物なんじゃないかなって思った。
 それこそが表現であり、美しい自己顕示だと僕は感じた」

ジャン・マルクルのグラスにブランデーを注ぎ、僕のグラスにも注ぐ。

「芸術と自慰行為の違いはどこにあるか?
 僕は、欲と無欲と、無欲と欲だと思う。

 すなわち、欲と無欲がどう化学反応を起こしたかの違い、
 芸術は化学だ」

頭がトランスしてきちゃったよ。
僕の脳内が幾何学模様だ。

「おかしいよね。
 絵も言葉も音も、全て自己を表現するものなのに」

ああ、いや、おかしくはないか。
精錬されていくんだ。

暫くぼうっと黙っていると、ジャン・マルクルが口を開いた。

「むかし、或るミュージシャンが言った。
今のお前になら、なにか分かるんじゃねえか。」

「・・・・・・?」


『 音楽に打ちのめされて 傷つくヤツはいねえ 』


僕は、あまりに初めてのことで、ぽかんとしてしまった。

初めて知ったんだ。

「・・・気が付かなかったよ!!!」

その通りだ。

絵も言葉も武器になる。
トラウマを作る。
しかし音楽はトラウマを作らない。

しかもさっき僕を殴ったジャン・マルクルがそう言うんだ。
あんたおかしいね。他人を傷つけたいんだか、傷つけたくないんだか!


    「「 乾杯 」」


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「あ~~~~~ 目の前が、き き き かがくもよー だよ
 アハハハハ!ジャン!」

ゲラゲラ。

ああ。
言葉が出る。

「さ さ さっき、言ったねえ~?
 詩はうんこだって、僕の!詩が!うんこ!ヒィーック」


「・・・・・・遠い」

僕は、ジャンとやり取りした羊皮紙の裏っかわに、書いた。
ミミズのような字で。

「いや、やめよう。
 音楽だけがハッピーなのさ!」

そう言って僕は、詩を書こうとした手を止め、ペンをスプーンに持ち替えた。