エピローグ:Lily of the valley

GM [2012/09/24 02:36]

その女は、願っていたものとは全く違う人生を歩んでいた。


ただ静かに、端からみればつまらないくらい平和な、皆が健やかで毎日同じような繰り返した生活を営みたいと思っていた。
日々を積み重ねること、その中に女は幸せを見ていた。


しかしそれは叶わなかった。


理想と現実の間に、埋められないほどの溝が出来た。
女の力でも、他人の力でも、もう軌道修正が不可能なことは明らかだった。


夫は戻らない。
子供も呪われた。
だから女は、現実を見ることをやめた。

 


ネロリの容態は、どんどん悪くなっていった。
子供のようになっていった。


今は毎日、集落の人間が身の回りの世話をしに来る。
そしてこの室内を見て、介護役はため息を一つつく。


「・・・まったく、この二人はああ!」


部屋の散らかっている原因は、ネロリとフランが子供のように遊び散らかしたせいだ。


介護役のフィリアは、床に散らばる草花をつまみ上げ、頬を緩める。


「フロー君。これ、捨ててもいいの?」


花輪にもなっていない、茎が絡まりあった草の塊。


「あぁー、それ、"馬車"だからダメ!」

「・・・ぇえ~?馬車に見えないよ」

「でも馬車なの!捨てないでっ」

「じゃあテーブルの上に置いとくからね。あ、この紙のところだからね」

「はぁい。紙、汚さないでね!タリカに渡す奴だもん」

「だったら自分で片付けなさーいっ。
 洗濯物は、これで全部?フロー君、他には?」

「う~んとぉ・・・あっ!昨日、裏のとこで遊んだ時に、手ぬぐいある!」

「遊んだ時の、でしょ!」

そうしてフランが家の外へ出た。

「あ・・・、や・・・、フローぉ!フロー!」


視界からフランが消えて、ネロリがぐずるように声を上げる。
フィリアは手を動かしながらもネロリの方に顔をやって、笑いかける。
そして子供へ諭すように、明るく声をかける。


「ああ、フロー君はすぐ戻るから大丈夫だよー」


ネロリは床に座ったまま、フィリアを見上げる。


「今ね、お外に洗濯するものを取りに行ったの」


フィリアはそう説明する。

わかっているのかわかっていないのかネロリは特に反応を返さないが、フィリアはこうしてネロリを"一人の人間としての子供"のように接している。
大人扱いも、特別な子供扱いもしない。


「フィリアー!これ!」


扉から大きな音をさせて、フランが戻る。


「ね?

 はーい!サンキュ」


フィリアが、ぐしょぐしょに汚れた布を受け取る。

フランはもうすぐもうひとつ歳を取る。
どんどん大人になっていくだろう。
それとは別にネロリは、今やフランの妹のような態度でいる。


フランの年頃―――いや、成人するまでまだ母という存在は欠かせないだろうに、とフィリアは少し心配する。


「・・・マーマ」


小さな声で、フローがネロリを呼ぶ声が聞こえた。
フィリアは聞こえないふりをして、洗濯物を専用の大鍋で煮ていた。


そうしてしばらく時間が過ぎた。
フィリアも別の考え事などをしていて、何分が経過したかわからなかった。


食事の支度前に希望を聞こうと、フランに声をかけるため居間の方に顔を出した。


すると、ソファの上に二人が座っていた。
フランはネロリに寄り添い、一人で絵本をめくっていた。
ネロリはうたた寝するように目を瞑り、フランの脇腹を抱えていた。


フィリアは、何も言わず竈の前に戻った。


こうしてふと、この親子は何も問題などないように見える時がある。
事実はおかしくとも、目に見えないところでは、壊れていないんだと感じる時がある。
しかしそれは刃の上を行くように脆く、緊張したバランスの上で垣間見れるものでしかない。


三人は、静かに、静かに、息をした。
この時間を壊さないよう、静かに、静かに。