10年前
GM
[2012/08/04 17:51]
ネロリが嫁いだ森の中の小さな小屋は、愛する夫の仕事場でもあった。
壁には大小たくさんの弓がかけられ、素人目にそれらはちょっとした展示物になった。
作業台の上にはやはり、長短種類の異なる矢が無造作に置かれている。
寝る場所とそれ以外。
そんな大雑把な区別しかないこの家にはじめは戸惑うネロリだったが、
段々と小屋の中で勝手を覚え、二人の生活が通常となるころにはすっかり家庭的に整頓され、
夫であるジェラルドはいちいちネロリに物の場所を聞かないとわからないほどになっていた。
「おーいネリー、この鉄弓の弦は?」
「あ、それは」
朝、ジェラルドが声を張ると、竈に火を入れているネロリが振り向きながら、手の代わりに視線で場所を示す。
「作業台の一番下の引き出しって、言ったじゃない」
「しゃがむのが面倒なところにおくのかい」
そんな夫の小言を心のなかで「滅多に使わないものなんだから、そこでいいのよ」と反論し、
火が着いた竈の上に、水の張った大鍋を置く。
料理するためではない、洗濯をするために沸かす湯だった。
「今日は暖かくなりそうね、空が青いわ。
・・・雪解けが進みそうだから、くれぐれも・・・気をつけてね」
「もちろんさ」
妻の心配がわかっているのかわかっていないのか、ジェラルドはいつ通りだった。
じゃあ行ってくるよ、と出かけたその日、
いつもは日が沈む前に戻ってくるジェラルドが、戻って来なかった。
ネロリは夕食の用意をすっかり終えており、家の中にはじゃがいもの焼けたいい匂いが漂っている。
一度は閉めた窓の木戸を、ネロリは下ろした。
(何かあったのかしら)
窓の外からは、春の雪の匂いがするばかりだ。
動物油を染み込ませた布を薪に巻いて作ってある、数少ない非常用の松明に火を付け、
ネロリは外套を羽織って家の周りをうろついた。
「ジェリー・・・? どうしよう」
心配が過ぎ、家の中でじっとしていられるわけもなく外に出たはいいが、
いつジェラルドが戻ってくるかわからない。
家から離れることも、しがたかった。
(少しだけ。ちょっと行ってみて、すぐ戻ろう)
ネロリは暗い足元を照らしながら、ジェラルドが通っているであろう踏み均された筋を進んだ。
暫く進んだろうか。そこはもう家の近くではなかった。
「・・~~――――・・・、・・」
人の声が聞こえた。それはどうやら楽しげで、時折笑いが混じっているように聞こえる。
(ジェリー!)
こみ上げる嬉しさと、安堵感。それと少しの腹立たしさ。
ネロリはその声のする方に向かって、歩みを進めた。
暗闇に揺れる火と足音に、いくら歓談中といっても狩人が気づかないわけがなく、
ジェラルドはそれがすぐにネロリだとわかった。
「ネリー!」
「・・・ジェリー」
簡単に抱き合った後ジェラルドはすぐに、今まで一緒に居た一人の男の方へ振り向いた。
「もうこんな時間になったんだ。真っ暗だよ。
妻が迎えに来るまで気が付かなかった」
「私もそろそろ帰らないと。
迎えに来てくれるような妻はいないから、自分で帰るのさ」
男とジェラルドが言葉をかわすと、二人はネロリに向き合った。
「こちら、ヤーンさん。
聞いてくれよネリー、俺今日危なかったんだ!
毒蛇に噛まれたんだ」
ジェラルドはネロリに笑顔でそう話す。
ネロリは、夫がそんなことをどうして笑いながら言うのかがわからない。
「どこを!? 何をやってるの! 早く水で洗いましょうよ!」
「大丈夫ですよ、奥さん」
「うん、もう心配ない。ヤーンさんに救ってもらったんだ。
それにしても、もう蛇が目覚めているなんてなあ。
油断してたよ!」
「・・・本当に、本当に大丈夫なの・・・?」
「本当だってば。ヤーンさんは神官なんだ。
神のお声が聞こえるんだぞ」
「そんな大層なもんじゃないですよ。
気がついた時にはもう、当たり前となっていました」
「それが俺にはわからないからなあ!
いやあ、ヤーンさんはすごいなあ」
「いえいえ、普通の事ですから。はははは!」
ヤーンとジェラルドのやりとりについてネロリはいい印象を受けなかったが、
夫の恩人かつ夫が好意を持っている人物を、自分も好いたほうがいいのだろうと
ネロリは思った。
「あの・・・今日はもう遅いですし、これからオランに向かわれるのは危ないです。
今夜はうちへどうぞ。狭いところですが、休んでいってください」
そして3人は、狩猟小屋もといジェラルドとネロリの自宅へ向かった。