現在

GM [2012/08/06 03:12]
雷がどこかに落ちた。

「・・・さ ぅい」

もう夏は始まっているというのに、雨が降り始めるとあたりの気温は一気に下がった。
フランは足に足を重ねたり、手で足の爪先を握ったりしている。

竈に残っている炭は、もう何日前に消えたものかわからない。


『ダリル様のお母様は、こちらへ何日前にいらっしゃいましたか?』

タリカがフランへ尋ねると、フランは10秒以上黙ったのち、首を横に振った。

「ゎか なぃ」


―――――――――――――――――――――――

ダリルは、雨が入ってくるというのに窓を開けて外を見ていた。
雷が落ちるところを、じっと見ていた。

「おっ」

空に、雑草の根のような形をした稲妻が走る。
その光と轟音に、ダリルはときめいた。

―――竜でも出てきそうだ。
もし竜が出たら、オランからは一斉に冒険者達が飛び出してくるぞ―――

そのシーンを想像するといてもたってもいられない気持ちになったが、背中からの声でそれは消沈した。

「あらま!この子は窓開けてなにやってんだい!
 閉めなさい、寒くて母さんの膝が痛むんだよ」

太り気味の母、カレンはとても貫禄のある声を出す。

「そうだダリル」

そのカレンが声を潜めた。

「フローの家へのお使い頼んだあと、荷物はどこ置いた?
 洗い物が見当たらなくてさ」

フロー。
フランのことだが、カレンたちの間では"フロー"と名前を変えている。

この家では、ネロリを雇っているからだった。

半年前に彼女がこの辺の集落に駆け込んできた。
ネロリが必死の形相で農家の集落に飛び込んだのは、4年前と半年前の2度。

4年前の時は、
「賊が出て家に入り込んできたのです。わたしとフランだけでは居られません。どなたか、厄介にさせてもらえまえんでしょうか」
とのことだった。

集落の男たちがネロリの家の様子を見にいったが、特に荒れているというわけでもなく、椅子が倒れているだけだった。

それでも、ネロリが女性たちとだけ居たがる様子から、集落の人々は薄々察した。
ネロリが気を許した農婦がそれとなく、何があったのかを聞こうとしたが、ネロリは泣いて口を閉ざすだけだった。

集落の間でジェラルドの噂は色々立ち、存在は憎むべきものとなりつつあった。
それは妻を放置していたことに起因するもので、ジェラルドが暗黒神を信奉していることは誰にも想像しがたかった。

ネロリは集落に厄介事を運んでいるが、4年前から農家の手伝いを勤めており、この狭いコミュニティの中で一員になることが出来ていた。
半年前まではおかしな言動もなく、非常識な部分も可愛い部類のものであったため、ネロリを面倒に感じる人は、彼女の近くにはあまりいなかった。
彼女とあまり接せず、人伝いの噂を聞いて判断する人は、ネロリを嫌った。

その、半年前。
ネロリは、フランが死んだ、と集落に伝えに来た。

驚いた集落の者は、一斉にネロリの自宅へ向かった。
そしてそこで光景を見て、一様に絶句した。

しかしカレンは、年老いたフランに声をかけた。

「あんた誰だい」
「・・・フラン」
「嘘つくんじゃあないよ」
「うそじゃ、ない!」

その拙い言葉の様子は、フランのものだ、その場にいるものはそう確信した。

「ママはどこ行ったのさ」
「ママ・・・さけんで、でて いった!」

そして、フランだという老人は、わんわんと泣いた。

この家を訪れた者の中には、気味悪い、と走って集落に戻っていった者も数人居た。

それから残った者たちが帰り際に話し合った。

他の者にどんな厄災が振りかかるのかわからないところでは正直、ネロリとフランには関わりたくないが、追い出すこともできない。
フランはああだし、ネロリに詳細を聞き出すしかない。

しかし、集落に戻りネロリに問いただしても「フランは熱を出して死んだ。病気で死んだ」と繰り返すだけだった。

ネロリは完全に狂った。
集落の人間は、全員がその答えを出した。

しかし、フランや過去の事以外は支障がないため、形はお手伝いさんとして集落に置くことがいつの間にか暗黙の了解となっていた。
そしていつしか、半年前のこととネロリ、フランのことは、集落の間でどこかタブー視された雰囲気になっていた。

比較的規模の大きいカレンの家で、ネロリを置いていた。
もちろん、フランのこともついてきた。

ダリルは好奇心旺盛な年頃だから任せにくい、とはカレンが前に言ったことだった。
だからなるべく目の届かない場所――フランの元――などはカレンが赴くようにしていたが、どうしてもできないときはある。

「なんだい、どこやったい」

再度、ダリルに問いかけた。
カレンが声を張ると、嵐の音なんか弱々しいものに聞こえる、とダリルは思った。

「あー・・・、いや、あの、あの日さ、ちょっと」

「なんだいあんた!
 もしかして、行ってないんかい!?」

「あー・・・ いや、  うん」

「馬鹿な子だね!早くお行きよ!」

「え・・・ 今?」

「当たり前なこと聞くんじゃないよ!今すぐだ!!」

「う。わかったよう」

そうしてダリルは窓を閉め、土間へ向かった。
カレンはやっていた仕事に戻ろうと、ひざ掛けをとって去ろうとすると、土間の方から情けない声が聞こえてきた。

母さーーん・・・。 パンかびちゃって・・・

「バカ!他のを持っていけばいいんだよ!」

・・・・・・。 あれ、いつもの籠がないよ・・・?

カレンは、戻ろうとした場所ではなく土間へ向かった。


―――――――――――――――――――――――

「きゃ」

足元がぬかるんで、泥をかぶった木の根を踏んだら滑ったので、女は声を上げた。
もう若くはない。30歳前後といったところで、中年の域だ。

女は藤で編んだバスケットを持ち、それが雨で濡れないように抱え込んで獣道を走った。

バスケットの中には、パンと、蒸かした芋と、肉の燻製と野菜の塩漬けが入っている。
人間一人なら、2日分の食料となるだろう。

これを森の向こうの狩猟小屋へ届けろと、言われたわけではない。
女が、このバスケットが何日も放置されていることに我慢できなくて、中身を入れ替えていつもカレンが通っている道を行けばいいのかと判断した。

走っていると、雷はもう落ちなくなった。
そして雲が途切れるようになり、隙間から青空が覗く。

晴れてきた。

女は、足を止めてバスケットを握り直した。
そうして再び前を向くと、道に違和感を覚えた。

「あ・・・・・・」

再び歩き出す。

女は辺りを見回した。

「わたし、この道、知っているわ・・・・・・?」

胸がはねるようにワクワクした。

(そう、この先には、・・・そう・・・!)

見覚えのある小屋。

コンコン

ノックする。

扉が開けられた。

「・・・あなたは・・・?」

女は、タリカに向かって声をかけた。

「あ、あの。これを持ってきたんです。
 フローさんに届けてください」

女は、自分で口にしたことがおかしいと思った。
指を唇に当てて考える。

「この、家・・・。フロー・・・、?」

そのとき、しわがれた老人の、小さな声が聞こえた。

「たり か。・・・だ、れ?」

女は、扉の前の背の高い女性の奥にいる人物を見て、愕然とした。

「・・・思い出した。
 わたし、思い出したわ・・・」

そして女は玄関扉をあけ、タリカを押しのけ、家の中にいる老人の元へ飛びついた。


「思い出したわ!」

女は、老人を抱きしめた。

「会いたかった・・・ 会いたかったわ。
 わたしよ、ネロリよ」

ネロリはいとおしそうに、老人の頬を撫でた


「ジェリー。いつ帰ってきたの・・・?」


ネロリは、目の前の老人の姿が、苦労によって老けた、自分の夫だと思った。


「マ  マ」


しわがれた声が、震えた。


「パパ。
 ・・・聞いて。

 わたしたちの子は、あの子は――――。
 高熱にやられて」

ネロリの目には涙があった。

「死んでしまったの」